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15歳で単身大阪の企業内学校に進学し奈良の田舎者が大阪という都会での生活が始まりました。
学業は勿論、電力の勉強や体力づくりで3年間過ごし、10年間大手電力会社の設備の作業員として従事しました。
僕が仕事というものは、やりがいを持って人の役に立てる「こと」「もの」を提供し続けることに意味があると気付いたのが、電力会社に入社し4年目の1月に発生した阪神淡路大震災です。
僕の職場は、奈良県でしたが早朝に震度5程度の地震。すぐに会社から呼び出しが掛かり、奈良県内の停電事故の復旧作業に走り回りました。
夕方、目途がつき事務所に戻るとテレビで神戸の悲惨な映像が飛び込んできました。
上司から「神戸に緊急で行ってくれ」と言われ、そのまま緊急車両でサイレンを鳴らして神戸へ。1週間、作業トラックで寝泊りしながらの作業は過酷なものでした。日に日に倒壊した家屋に花束が増えていきます。
そんな中、被災された酒屋のご主人が、自分のお店の商品も被害をたくさん受けてるのに、「兄ちゃんら、ありがとうな。これ飲み。」と、一升瓶を持ってきてくれたのです。さすがに勤務中なので、飲むことはなかったのですが、その気持ちに涙がこぼれました。
この仕事やってて良かった。と心の底から思えた瞬間です。
言われたことをするだけが仕事ではない。喜ばれることを優先しなければいけないと感じたことが、クリエイティブに携わりたいと背中を押されたような気がします。
その後の被災地復旧作業では、メーターを通さず直結すれば電気が繋がるお客さんは、臨時で早急に直結して電気を繋ぎました。無料で使える応急処置をしていったので、管理側は後々かなり苦労したと思いますが・・・
たくさんの仲間や恩師に支えられ、今の自分があります。
前述のような経験や、もともと絵を描くのが大好きだったことが重なり、アートの仕事に就こうと一念発起し上京。
東京で選んだ会社は内装工事やパース制作の会社で、イラストや映画とは全く関係のない会社でしたが、企画室を立ち上げ、仲間や協力者が増えていくにつれ、国際映画祭やハリウッドの映画祭で自分の制作したアニメ作品が受賞するようになりました。
電力会社で培ったこと、上京後数年は実績も知り合いもいなくて苦しんだこと、そしてそれらを全てプラスに考え、苦しみも楽しみも人一倍に経験したことをノウハウにして、現在フリーという方法で、色んな方々に喜んでいただける「こと」「もの」をご提供してまいりますのでよろしくお願いいたします!
ひとつだけ知っていただきたいことがあります。
今はもう対策されているだろうと思いますが、当時被災地復旧作業に入ると、関連団体がいない場合、食べるものも飲むものも確保できない状況でした。
だからといって被災者への支援物資をいただくこともできません。関連会社の作業員でこの状況により過労死された方もいました。。
僕らは幸い三ノ宮営業所の倉庫に作業員用としてカロリーメイトや水を確保してくださっていたので有難かったのですが、今後災害等があった場合、頑張っている復旧作業員等への十分な対策も必要です。
本性は、おとぼけ・天然「YORIYASU」
★典型的なO型とよく言われます
★早口の話はついていけないことが多々あります
★ボーっとしてることが多いです。定期的に声をかけてください
★しっかり聞いてるようで違う世界へ行ってることがあります
★とっつき難そうと言われますが、世界一ゆるいです
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★仕事だけはかなり真剣に取り組みます。この仕事好きだから!
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